「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで 思慮のないことを好むのか。 あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、 愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
言うであろう、「わたしは教訓をいとい、 心に戒めを軽んじ、
彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
悪しき者のはかりごとに歩まず、 罪びとの道に立たず、 あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。
まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、
悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。
「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら………しかし、それは今おまえの目に隠されている。
『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
あざけるものが罰をうけるならば、 思慮のない者は知恵を得る。 知恵ある者が教をうけるならば知識を得る。
ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。
さばきはあざける者のために備えられ、 むちは愚かな者の背のために備えられる。
あざける者は戒められることを好まない、 また知恵ある者に近づかない。
あざける者は知恵を求めても得られない、 さとき者は知識を得ることがたやすい。
思慮のない者よ、悟りを得よ、 愚かな者よ、知恵を得よ。
思慮のない者のうちに、若い者のうちに、 ひとりの知恵のない若者のいるのを見た。
なまけ者よ、いつまで寝ているのか、 いつ目をさまして起きるのか。
彼はあざける者をあざけり、 へりくだる者に恵みを与えられる。
主を恐れることは知識のはじめである、 愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。
思慮のない者に悟りを与え、 若い者に知識と慎みを得させるためである。
民のうちの鈍き者よ、悟れ。 愚かな者よ、いつ賢くなるだろうか。
だれかヨブのような人があろう。 彼はあざけりを水のように飲み、
「わたしにむかってつぶやくこの悪い会衆をいつまで忍ぶことができようか。わたしはイスラエルの人々が、わたしにむかってつぶやくのを聞いた。
そこで主はモーセに言われた、「あなたがたは、いつまでわたしの戒めと、律法とを守ることを拒むのか。
モーセとアロンはパロのもとに行って彼に言った、「ヘブルびとの神、主はこう仰せられる、『いつまで、あなたは、わたしに屈伏することを拒むのですか。民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。
城壁の頂で叫び、町の門の入口で語る。
思慮のない者の不従順はおのれを殺し、 愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。
高ぶりおごる者を「あざける者」となづける、 彼は高慢無礼な行いをするものである。
賢い者は災を見て自ら避け、 思慮のない者は進んでいって、罰をうける。
エルサレムよ、あなたの心の悪を洗い清めよ、 そうするならば救われる。 悪しき思いはいつまで あなたのうちにとどまるのか。
わたしはあなたの憎むべき行い、 あなたの姦淫と、いななき、 野の丘の上で行ったあなたのみだらな行いを見た。 エルサレムよ、あなたはわざわいだ、 あなたの清められるのはいつのことであろうか」。